スイーツなブログ

2008-12

ありがとうございました。

2008年は ほんとにいろんな出来事がありました。
ほんとに今までで一番嫌な幕開けでした。
でも どん底にいたら後は良くなるだけです。
少しづつですが、良い方向に向かっています。

日南に帰ってきて この会社を建てて早3年が過ぎました。
創業時から 友人、知人、お役所の方、先輩、農家さん、いろんな方たちが協力し、応援してくださって 今があります。
従業員は一番の応援者ですが、
「社長はほんとにいろんな方々が応援してくださっていいですね」
と言ってくれます。
ほんとに 幸せ者だなと思います。

素人のくせにちょっと身勝手な社長ですが、
解らないことは教えていただいて、
できないことはお願いして(女は図々しいからと言われますが)、
いろいろご迷惑をかけておりますが、
いつもありがたいなあと感謝しております。

そんなに若くは無いので時間がないのですが、
身体だけは健康ですから、
社会に貢献することができるような会社になりたいと思います。

そうちゃんのことを知って、マクドナルド・ハウスを知りました。
正直 あまり食べる機会は無かったのですが、
みんなで月に1,2度は食べようねと言ってます。
(この前 みんなで食べましたが、美味しかったですよ。)

そうちゃんのおかげでいろんな事を知り、とてもいい経験しました。
悲しみだけはまだまだ消えそうにありませんが、
そうちゃん ありがとうね。
そうちゃんって ほんとすごい。
小児移植の法律が改正されるようにみんなで頑張らなくてはと思います。

今年も ほんとうにありがとうございました。
これからも力の続く限り頑張ります。

来年も いい年になりますように!
  • shirahama
  • | 投稿日:2008年12月31日
  • | コメント (16)

満天の星空です

今日は クリスマス
宮崎から帰ってきて、車を降りたら 満天の星が降ってきそうです。
どこかにそうちゃんがいるかなとしばらく星空をみあげていました。
横浜に住んでた頃は 空を見上げてもあんまり星は見えませんでしたから
夜 空を見る習慣は無かったです。
3年前 日南に帰ってきてからは 夜 会社を出ると
晴れた日は しばらく空を見あげるのが習慣になりました。
日南の空は澄みきっていますから ほんと いっぱい星が見えます。

最近は 空を見ながら つい 
そうちゃん元気? どこにいるのかな・・・・・?
あんまり走り回って ケガしないようにね とか はやく寝なさいとか
独り言を言ってしまいます。
自宅に着いて 車から降りる時は
そうちゃん ママとパパのところで寝てるんだよね。 と・・・・・

今日も 綾子と電話で そうちゃんの話をしながら
また 泣いてしまいました。

オーストラリアに住んでいる次女(絵理子)が前に言ってたのですが
オーストラリアでは 亡くなった方は 天国に行って幸せになるんだから
お葬式の時に絶対泣いてはいけないんだそうです。
可愛がっていただいた大学のルナ先生が亡くなられて
葬儀に参列するときに しつこいくらい言われて参列したらしいのですが
「行く前にいっぱい泣いたの。葬儀のときは みんな泣かないから我慢したけど やっぱり 悲しいよ」 とワアワア泣きながら電話してきました。
いつまでも泣いちゃいけないと思ってその事を思い出すのですが・・・・・
ICUの看護師さんらも みなさん当然帰ってくると信じていらしたから
まだ信じられなくて・・・・・と
そうちゃんのことが話題になるんだよと言ってました。

悲しいんだから 仕方ないです。

そうちゃんは ほんとに みんなの太陽だったんですね。

奈美枝さん 時間が許されるなら 
アメリカでたくさん移植のことを勉強してきてください。
そして この日本の現状を何とか変えないと
助かる命が助けられないことを 伝えてほしいと思います。

変わること 変えられることは大事です。 
それが 一歩前進です。

  • shirahama
  • | 投稿日:2008年12月25日
  • | コメント (8)

可愛いそうちゃんへ

ママは辛いのに 一生懸命ブログを書いてくれています。

今日は ユリのお花が咲いたみたい。
綺麗なお花だね。
まるで クリスマスリースのように華やかね。

そうちゃんは 太陽みたいな子供だから
きっと みんなに
「元気だしてよ!」と言ってるんだよね。

いつまでもメソメソしてちゃいけないんだけど・・・・・
そうちゃんの写真を見ると
あんまり そうちゃんの笑顔や、頑張ってるお顔が
可愛いから 会いたくなって・・・・・
涙が出てきます。

ママの力になれるかどうか、解からないけど
私も これから日本を背負っていく若い命が無駄にならないように
日本で移植が出来るように応援します。

我が社は 創業4年目の若い会社ですが
みんな そうちゃんを知って、
日本の移植に対する遅れ、現状を知ることができました。
何らかのお手伝いができたらと思います。

そうちゃんへの募金活動に作った「そうちゃんミニパウンド3個セット」は
これからも 募金活動に残していきたいと思います。
たくさんの方々が 「そうちゃん頑張って!」と買って
募金に協力してくださったのよ。

今日も宮崎は いいお天気でした。
久しぶりに霜が下りて、朝は寒かったよ。
お星様がたくさん見えます。

クリスマスケーキ作りで 大忙しです。
  • shirahama
  • | 投稿日:2008年12月19日
  • | コメント (25)

そうちゃん 天国で何してるの?

そうちゃん やっぱり寂しいよ。

まだ 信じられなくて 
PCの前に座ると そうちゃんのホームページを開きます。
綾子に毎日そうちゃんの様子を聞いていましたから 
「おかあさん、孫みたいな心境なんじゃない?」と・・・言われたりして、
元気になって 歩いて帰ってくるのを楽しみにしていました。
お母さんのブログをずっと読んでると
元気だったら 絶対 ”わんぱく坊主” 間違いなしです。
走り回るそうちゃんを追いかけながら おかあさんに
今回の移植のお話を聞いてる自分を想像してたりしていました。
ほんとに 信じられません。

昨日は しとしとと一日中雨が降り続いていました。
「そうちゃん 急に悲しくなって泣いてるんじゃないの?」
「ママもパパも みんな そうちゃんのこと想ってるから大丈夫よ」と
空に向かって言いました。

今日は 宮崎は冬晴れの爽やかないいお天気でした。

明日11時からでしょうか、アメリカでそうちゃんのお別れ式があります。
お別れまで たくさんたくさん抱いてもらって、ください。

そうちゃん ありがとうね。

ご冥福を祈ります。
  • shirahama
  • | 投稿日:2008年12月14日
  • | コメント (26)

そうちゃん ママとパパを見守ってあげてね 

突然の悲報に何で・・・なんで・・・と思いました。
あんなに頑張ってたし、ご両親も一生懸命頑張っていらっしゃったし
いい状態でロマリンダ大学に入院できたのに どうして・・・・

苦しい治療に5ヶ月余りも耐えたのに 可哀想で・・・

そうちゃん 天国からママとパパを見守ってあげてね。
そうちゃんのこと みんな忘れないから


また 書きます。
  • shirahama
  • | 投稿日:2008年12月12日
  • | コメント (8)

そうちゃん 渡航の様子

そうちゃんのために温かいご支援・ご協力をいただいた皆様に 心よりお礼申し上げます。


<そうちゃんママが撮ってくれた記念写真>

母の戯言を好きに書けるこの場をおかりして、今日は綾子が担当させていただきます。

母から「そうちゃんの様子をみなさんにお伝えして」と言われたものの何を伝えようかと・・・。
そうちゃんの事ねぇ。う~ん、それは救う会で最新の情報があるからなぁ。
なので今回私がそうちゃんをアメリカへ搬送するにあたって関わったことの振り返りを書きたいと思います。あくまで私の視点から思った事、感じた事ですし、少しマニアックな内容かもしれませんがご了承ください。

心臓移植が決まって先生から声がかかってから約1ヶ月、あっと言う間に渡航日になってしまいましたが、当日はもっと“アっっっ”と言う間でした。
実は昭和大学横浜市北部病院が2001年4月に開院して以来、当院から移植患者を国外に搬送するのは初めてのことでした。
最初のミーティングで、リーダーの循環器医師富田先生から
『搬送チームの枠は5名を考えています。(たいていは医師2名+看護師1名の3人らしいです) 医師が3人、看護師1人、それとME(臨床工学技士)を1人の構成にしようと思うんだけど、どう?』と発表されました。
その時はなぜ私の職種が召集されるのか解りませんでしたが、そうちゃんのように人工呼吸器を必要とし、機械を使って持続的に薬を血管内に注入しなければならない種類が何種類もあり、更に非常事態に備えての高度医療機器を一緒に何時間もかかる場所まで搬送しなければならないとなると、必要なのかな~と思い移植プロジェクトチームに加わることになりました。

飛行機に持ち込んだ医療機器の数、何台くらいだと思いますか?
種類は7機種、のべ18台でした。
そうちゃんに常に接続していなければならない機器は8台。それ以外は適宜、または交換用、あとは大型のバッテリーです。(これ以外に小さなバッテリーは4個持ち込みました)
何故18台も必要だったのか、それは搬送中は供給電源がないからです。
救急車では必要最低限の機器の電源を供給してもらうことができましたが、機内はパソコン専用の電源で、そこから医療機器のために電力を直接取ることは許されておらず『必ず充電器を介してください』とJALから事前に忠告がありました。
医療機器以外に充電器を持ち込むとなると、これまた重たい機械が最低8台も増えます。それに電圧変動が予想されるため電力の安定供給は保障できないとのこと(当たり前ですよね)なので、それならばと 私は全ての機器をバッテリー稼動にして必要台数準備することに決めました。
だってせっかく充電器を購入して持ち込んでも(安いものではありませんし)、今回の搬送以外に充電器なんて使わないし“電力の安定供給の保障がない”という事が一番ひっかかりました。
そうしたら、全部で15台+外部バッテリー3台の計18台になってしまったのです。

バッテリー交換ができる機器は予備バッテリーだけ持ち込み、機内で私が適宜交換しました。交換できないものは外部バッテリーをメーカーから借用したり、機器そのものを何台も用意しました。外部バッテリーなんてすごく重たいんですよ。1台12kgもあってそれが3台必須でした。外部バッテリーの無い呼吸器なんて5台も持ち込みました。酸素ボンベは9本用意しました。
これを5人のスタッフで全部運ぶのは・・・そうです、到底無理ですね。
重たいのもそうですが、重量の問題以外に そもそも運ぶ手が足りませんでした。機内で使うものですからスーツケースに入れるわけにはいきませんから。
そうそう、往きのスーツケースはスッカラカンなのにかえりは相当キツキツに詰め込みました。昨日ロサンゼルス空港でチェックインする際に「お客様、預けるお荷物はお一人様32kgまでとなっておりますが、今回11kgオーバーになっております。次回からは気をつけてください。」と言われ、JALのご配慮で追加料金なしに積み込んでいただきましたが、でもこれ以外に手荷物で自分の鞄と外部バッテリー12kgを持ってたんです。一体何kgの荷物を抱えていたのやら・・・。自分の体重以上のモノだったに違いありません。
私を知っている方はもう想像がつくかと思いますが、小さい頃ずっと運動していたせいか体力もあるし、力も相当あるんです。
ロサンゼルスに着いて自分の手荷物を背負って呼吸器を1台肩から下げ、12kgの外部バッテリーを両手にそれぞれ1台ずつ計2台持って 機内から救急車までそうちゃんと一緒に移動しようとしている私の姿を見た先生に
「本当にたくましいなぁ。いつもガッツリ担いでる君を見ると心が痛いよ。俺は情けない。。。」
と言われました。そして先生が次に発した言葉は
「宜しく頼むな。税関のとこで待ってるから」でした。
『私 一応 女の子なのにな~、“力持ち”っていいやら悪いやら・・・。まっ、いっか どうせ誰かが重たい思いをして運ばなきゃいけないわけだし。』
と、気を取り直して移動。でも正直、手が痛かったです。。。

機内で使う機器が必要台数準備できればそれでいいわけでなく、それぞれの機器が機内で安全に稼動するか、はたまた飛行機の運航に電磁障害などの影響をおよぼさないかなどのチェックをしてもらうことも必要でした。当初予定していたいくつかの機器は持ち込みの許可が出ず、別の機種に変更したのも事実です。
飛行中の安全を想定して座席シートから落ちないように固定するべく工夫しなくてはなりませんでした。これにはホームセンターに2回も物色に行って、シートの大きさを考えていろいろ試行錯誤しながら寸法を取り適当な大きさのカゴに固定することにし、オリジナリティーあふれる医療機器安全固定セットができました。これは富田先生からMVP賞を頂きました。最高傑作だって! まぁきっとおだてられただけに過ぎませんが、少し役に立てたと実感できたので喜ばしいことではありました。「絶対に次のスタッフの参考になるよ。MEの移植コーディネーターとしてアドバイザーになれるかもね。」って。このカゴ作りの作業時間は楽しかったです。小学校の時の図工の時間を思い出しました。

もちろん日本での準備期間は私ひとりで全てをやったわけでなく、同僚みんながそうちゃんのために快く手を差し伸べてくれましたし、当日は上司の宮島さんが成田空港まで付き添いで来てくれました。搭乗口で別れる最後の最後まで私の手の届かないかゆい所を暗雲の呼吸でサポートしてくれました。彼がいなくては私ひとりで全部の機器を把握するのは絶対無理でしたし(当日はとにかく時間的余裕がなくて要所要所で機器の点呼をする暇が全くありませんでした)、飛行機に乗りこんだ後に忘れ物に気づいて青ざめていたかもしれません。同僚みんな、特に宮島さんには本当に感謝します。

実際搬送中の機内では呼吸器・酸素ボンベ・モニターのバッテリー交換がそれぞれ2~3時間おきに機器それぞれのペースで巡ってくるものですから、全然休めませんでした。機内食サービスなんて中座ばかりだったので食べた気がしませんでした。バタバタ動いていて全然着席しておらず、機内は乾燥しているせいもありますがひたすら水ばかり飲んでトイレに行っていた気がします。それでもそうちゃんがスヤスヤ眠っていたり、少し余裕が出てきて笑ってくれたらそれだけで安心&嬉しくて。
幸い大きなトラブルに見舞われることはなくロサンゼルス空港に着陸して、ロマリンダ大学のスタッフが機内に迎えに来てくれた時は本当にホッとしました。
そうちゃんもホッとしたのか、少しだけ向こうのスタッフの前でニコっと笑ったんですよ。
He is very cute. って言ってもらっていました。なんだか私が褒められたみたいで嬉しかったことを覚えています。

渡航前日のミーティングでは『状態は決してベストではない。だから当日朝5時半の採血データの結果次第で最終的に渡航するか決める』との事でした。なので 12月5日は朝5時過ぎに気になって目が覚め、そこからずっと起きていて出国~ロサンゼルス空港に到着、無事救急車に乗せて見送った日本時間12月6日5 時頃までの時間というのは、今までに経験のない速さで過ぎ去っていきました。無事に現地のスタッフにバトンタッチして安心したら眠さ限界で、空港からホテルまでの1時間半くらいは車の中で爆睡でした。


以上、恥ずかしながら私の珍道中をレポートしました。
今回同行した看護師は看護師なりの 医師は医師なりの視点から搬送を振り返っていると思います。もちろん反省会をする予定です。きっといろいろな意見が出て、次回(あるかどうかわかりませんが)に残せるように写真やリストを残しておこうと思っています。

最後に。
そうちゃん、しばらくはパパとママとロマリンダ大学病院の医療スタッフに囲まれての治療になるけれど心配ないからね。みんなそうちゃんに元気になってもらいたいと必死で頑張っているんだから、そうちゃんも頑張るんだよ。今までも十分頑張っているけどね、辛いけど 苦しいけど 頑張ろうね!
日本から私達スタッフはもちろん、救う会のボランティアの方々、そのお友達、そうちゃんの知らない沢山の人たちが、手術後の少し大きく坊ちゃんになった、元気なそうちゃんの未来像を想い描いて楽しみにしているからね♪ 応援してるよ~。
日本に帰ってくるのはいつになるかな~。。。
成田に帰ってくる時は、必ず迎えに行くからね。

上の写真は入院2日目に面会に行った時のそうちゃんです。
少しご機嫌ナナメだったけど、これが移植前のそうちゃんと私の最後のツーショット写真になりました。
そうちゃんのママさんが「記念に」とそうちゃん宅のカメラと私のカメラの両方で撮ってくださいました。
どうもありがとうございます。
ママさん、パパさんと力を合わせて、体調を崩さないように看病に励んでくださいね。
ブログの更新、楽しみにしています。

12/5と12/6のブログにもコメント付でそうちゃんの写真をアップしたのでご覧ください。

    
  • shirahama
  • | 投稿日:2008年12月09日
  • | コメント (15)

そうちゃん 無事ロマリンダ大学に着いたそうです。


アメリカ入院初日

ほんとに 良かったです。

綾子から メールが届きました。(現地時間 5日23時)
5日 11時頃から昭和大学横浜市北部病院で準備を始め、
神奈川県警の護送で13時に救急車で出発。成田まで搬送し、17時20分発のロサンゼルス空港行きに乗って機内では何のトラブルも無く 無事 ロマリンダ大学の救急車に乗せるまで
(日本時間の6日5時前)アッという間に過ぎたそうです。
そうちゃん 初めての飛行機で しかも9時間半余り揺られて
ほんと 頑張ったね! すごい!

出発前に 血液検査で感染の数字が高くて、熱もあり、行けないかも知れないと聞いたときは どうなるんでしょうと・・・・・
日本ではもう治療法が無いのなら 何とか渡航して
ドナーが現れてくれるのを待ったほうがいいのではと 祈っていました。
朝の数字は良くなかったようですが、
そうちゃんなら頑張れると
先生が判断されたんですね。
ほんとうに 行けて良かったです。

さあ これからが始まりです。

「生きられる」「生きる」希望がわいてきます。
ドナーを待つのも正直複雑な気持ちですが、
移植を受けられれば もっともっと みんなの笑顔が見られます。

そうちゃん 頑張ってね!

たーくさんの みんなが応援してます。


~ 病院 ロマリンダ大学病院入院初日 ~
アメリカに着いてそうちゃんはすぐに向こうのスタッフとともに救急車でロマリンダ大学へ病院
(もちろん日本の医師と看護師、ママさんも同乗して出発しました)
日本からの残りのスタッフは一度ホテルにチェックインし、それからすぐに病院へ面会に行きました。
すると、もうアメリカ仕様のそうちゃんになっていました。
病衣がかわいいですねさくらんぼ
お部屋の棚は大きなTWEETYのシールが貼られていたり、看護師のユニフォームもキャラクターのプリントがされていたり、丁度クリスマスシーズンだったので院内のいたる所にクリスマスツリーがありました。
それぞれの飾りつけも華やかでかわいらしく、患者さんや面会者の心を和ませてくれていました。
もっと沢山、いろいろな写真がアップできたらいいのですが・・・。
それはそうちゃんのママさんのブログで見ていただきたいと思います。
~綾子~

 


  • shirahama
  • | 投稿日:2008年12月06日
  • | コメント (0)

そうちゃん 渡航できてよかったね!


機内のそうちゃん

成田を17時20分発のJALで旅たちました。
飛行時間9時間30分、5ヶ月ぶりの外の空気に触れて、どんなお顔で救急車に乗ったんでしょう。
これからまだまだそうちゃん、ご両親の闘いが始まりますが、
希望を持てる闘いだから 大丈夫!
何十万、何千万の方々が みんな同じ気持ちで祈っています。

12月1日から 忙しさに追われて、ブログの更新をしていませんでしたが、阪元君の母校 "日南くろしお支援学校"のみなさんからも多額の募金を頂きました。
MTR宮崎放送、太陽ひかり㈱の渡邊部長さん、農業法人の杉田さん、友人の嘉悦さん、取引先の日南地頭鶏ランド、㈱クリニカルパソロジーラボラトリーのみなさんなど次々とご支援いただいています。
ほんとうにありがたくて、感謝します。

おかあさんの 『生きる』という詩を読んで・・・・・
ブログに書いてありましたが、
そうちゃんの笑顔が可愛くて、可愛くて、切なくて、
涙がでてきて仕方ありません。

頑張ってとしかいえないのが 悔しいです。

そうちゃん みんな待ってますよ!


~ 飛行機 いよいよアメリカへ~
綾子です。昨夜12/8に帰国しました。
私のカメラで撮影した写真ですが、応援して下さっているみなさんに少しでもそうちゃんの様子を伝えられたらと思い、12/9画像をアップしますカメラ
これは機内でのそうちゃんですおはな
頭上にはちび氷チン(氷枕)、左肩のところにはお気に入りのお人形、そうちゃんの右側にはこれまた大好きな歯ブラシ(この時は持ってませんけど・・・)
なるべく病室にいた時と変わらない、そうちゃんが安心して機内で過ごせるように周りを囲みましたよつばのクローバー
でも飛行機の中ですからちゃんとシートベルトをしています。(胸ベルトになっちゃってます)
「今日は朝からバタバタしてるけど、ここまできてようやく落ち着いたのかな・・・?
なんだかもう、僕は少し疲れちゃったんですけど。。。悲しい」
とでも思っている表情でしょうか?
JALのご好意で離着陸時もそうちゃんのシートだけはフラットにしていてもよいと許可があったのですが、やはり離陸時・着陸時のG(重力)がかかる時は『滑り落ちるのでははいか・・・』とヒヤヒヤでしたたらーっ
まだまだ、これから10時間余りの旅が始まろうとしている時の写真でした。
~綾子~


  


  • shirahama
  • | 投稿日:2008年12月05日
  • | コメント (9)

そうちゃん いよいよ渡米ですね

28日から 銀座三越の「チーズケーキフェア」の応援に上京しました。
長女(綾子)にそうちゃんのICUでの様子などいろんな話を聞けて、ちょうどいい時に帰って来れました。
ほんとに多くの方々が そうちゃんの元気になった姿を見たくて頑張っていらっしゃるんだなと思いました。
綾子も 毎朝、富田先生からのメールを確認し、風邪など引かないように、万全の体調で同行できるよう気を遣っています。
12月5日 予定通りロマリンダ大学へ 出発するんですね。
お父さん、お母さん 異国の地での生活、ほんとに大変でしょうが、頑張ってください。
帰国される時は そうちゃんを真ん中にして、手をつないで帰って来れますね。

私達は募金活動 頑張ります。
  • shirahama
  • | 投稿日:2008年12月01日
  • | コメント (9)